哲学のホラー――思弁的実在論とその周辺
近年、スラヴォイ・ジジェクやアラン・バディウ、カトリーヌ・マラブーらの影響下で、英語圏において生じた大陸哲学への新しい関心は、何人かの哲学者や思想家を巻き込む形で思弁的実在論(speculative realism: SR)と称されるある哲学的立場、ないしフッサールが自身の創した現象学をそのように呼ぶことを推奨したやり方に従うならば、哲学的「運動」を生み出した。2007年にイギリスのロンドン大学ゴールドスミス・カレッジ*1で開催された、クァンタン・メイヤスー、グレアム・ハーマン、レイ・ブラシエ(Ray Brassier)、イアン・ハミルトン・グラント(Iain Hamilton Grant)の四人をメンバーとする同名のシンポジウム*2が、一般的にはこの運動の直接的起源とみなされている。そこに読み取られるこの運動の基本的方向性は、カント主義(Kantianism)の乗り越え、相関主義(correlationism)への批判、人間中心主義(anthropocentrism)からの離脱といったいくつかのスローガンに集約されるものだ。このシンポジウムの記録はロビン・マッカイ(Robin Mackay)がディレクターを務める「アーバノミック(Urbanomic)」の発行する商業学術雑誌『コラプス(Collapse)』第三号「知られざるドゥルーズ」に掲載された。
とはいえあらゆる哲学運動の例に漏れず、実際のSRもまた、上記のいくつかのスローガンには還元し尽くされないような複数の対立する論点とそこから生じるさまざまな葛藤を引き受けることによって、かろうじて成立しているものである。このことは、英語圏の主流たる分析哲学の中心的トピックの一つである実在論/唯名論の対立におそらくはかこつけてブラシエが名付けた「思弁的実在論」という総称に逆らう形で、メイヤスーが自らの立場を特に明確に規定するものとして思弁的唯物論(speculative materialism)という呼称を提案し、それに対して明示的に批判的な姿勢を見せるハーマンが「唯物論抜きの実在論」という論文を発表し*3、さらにそのハーマンがアメリカで始めたSRの分派とも言うべきオブジェクト指向存在論(Object-Oriented Ontology: OOO)に対して、ブラシエがある種の正統性の観点から嫌味たっぷりに批判する*4などといった事態の推移からも、十分すぎるほどに感じ取ることができる。
しかし四人のオリジネイターの間での理論上の対立がどれほどであるにせよ、SRが単に、純粋に哲学的な文脈における新しい主張というものでしかなかったのであれば、事態はそれほど複雑ではなかっただろう。この記事が若干の報告を試みるSR周辺のホラーの哲学に関して言えば、それは、SRの運動が論理学や倫理学の親戚として捉えられる限りでの哲学の問題から生じてきたものでは決してなく、より広い思想的・文化的な営為の中にその出自の求められるべき存在であることを、まさに証示している。実際、ホラーというジャンルの根幹に関わる生と死の問題、さらに自然法則を逸脱した現象(超自然的なもの)といったフィクショナルなテーマが有する可能な哲学的含意について考察することは、SR(特にメイヤスー)が近年の神学の回帰とでも言うべき傾向*5に対して持つ特殊な意義を考察する上でも有益である。
■ホラーの哲学と(思考)不可能性
そもそもどうして、ホラーの哲学がSRの多様な展開の一部として考えられるというのか。そのことを理解するために、差し当たっては自然の斉一性(principle of the unformity of nature)や充足理由律(principle of sufficient reason)、その事実性(facticity)*6といった概念に対する、SRの基本的な懐疑の態度を押さえておく必要がある。これは一種の不可能性をめぐる思考である。だがその議論の内容は、SRのポップなイメージに反して技術的に難解で、またこの点においてこそSRの個々の論者の思想のクリティカルな差異が浮上してくるという事情もあるため、繊細な取り扱いを要求するものである。ひとまず大まかな理解を得る糸口として、SRとその直接の先行者たちとの見過ごされがちな関係性を見ておくことにする。この関係は――往々にして歴史的な先行・後続関係というのはそういうものだが――一見すると単純に敵対的とも宥和的ともいえないものである。とはいえ歴史が一つのセリー(系列)として表象される以上は、そこには明確な差異のしるしが穿たれているものだ。
要するに、初めは何もかもが似ているのだ。「人間とその世界に対する懐疑」という要約のみから判断する限り、SRの哲学は思考不可能なもの(the unthinkable)をめぐるポスト構造主義(デリダ、ドゥルーズ、ラカン)の主張をただ繰り返しているだけのように見える。カントやドイツ観念論を批判し、唯物論の路線を多かれ少なかれとり、〈一〉ではなく〈多〉の哲学を唱えるといった姿勢が共通であるため、なおさらこの類似の感覚は強められる。だが彼らが自らの差異を際立たせるのは、まさにこの直接の先行者たちに対してのことなのだ。SRの一般的なパラダイムにおいて、ポスト構造主義の標準的な思考の枠組みは――思考不可能なもの=浮遊するシニフィアンが超越論的主観性たるクラインの壷の中を循環することによって、思考可能なもの=人間的なるシニフィエを効果としてもたらすというような――相関主義(correlationism)――思考と存在を相補的な関係のうちにおいてのみ捉える、カント以来続く哲学の悪しき伝統――の一種、その「強いモデル(the strong model)」とみなされ、批判の対象となる。これはつまり、言語的な分節化と対応のモデル、フーコーがその著書『言葉と物』のタイトルにおいてシンプルに表したようなモデルで世界を記述・説明することに対して、不信を表明することに他ならない。SRがデリダに対し特に強い拒絶反応を示すのも、やはりテクスト、エクリチュールといった言語的モデルを通じて世界を理解しようとする彼の方法に対する反発によるところが非常に大きい。*7
言語的なモデルは、論理法則を含む自然の諸法則が維持されること、すなわち自然の斉一性なり充足理由律なりを事実性として承認することで――言い換えれば語り得ないものに対する境界を引いてやることによって――初めて成立する。これは言語的なモデルに依拠する現代哲学全般(分析的/大陸的のいずれも含む)だけでなく、カントを批判する主観主義の形而上学(ヘーゲル)そして生の哲学(ベルクソン)の主唱者たちに対しても一般に言えることだ。それに対してSRが依拠するモデルは、諸法則の変化や消滅の可能性が否定しきれないということを事実性とみなす、もはやSF(Sci-Fi)ですらない、ホラーのモデルである。このことを、ポスト構造主義の哲学が認識論的な不可能性を問題とするのに対し、SRは存在論的な不可能性を問題とするのだと言い表すことも可能だろう。(たとえばメイヤスーは「潜勢力と潜在性」において、帰納的推論の不可能性に関するヒュームの議論の前提となっている認識論的な方向付けに反発するところから議論を開始するし、ブラシエはドゥルーズに知的な負債を大きく負いながらも、その「生の哲学」の擁護者という側面を意図的に捨象することで、バディウの数学的存在論やチャーチランドの消去的唯物論と自身の哲学の接続を図ることになる。)
***
ところで、ホラーが恐怖や戦慄といった感情を現実的な効果として引き起こすことができるのは、そこに私たちが自らの限界を超えた何ものか(それを不気味なもの(the uncanny)や崇高なもの(the sublime)と呼び変えても構わない)を知覚するからに他ならない。しかしこの何ものかが単に認識論的な限界を超えているに過ぎなかったらどうなるだろうか。私たちは普通、それらがとてつもなく困難であったとしても、単なる数学的・論理学的・哲学的パズルそのものに対して恐怖を覚えることはない。言うまでもなく、恐怖を感じることが理性の能力の一部であり得るのは、それが生存の維持やもっと言えば自己同一性の保持に関わる機能を持っているからだ。上述のパズルのごとき認識論的な困難は、理性を脅かすのではなく、むしろその固有性=所有物(property)を規定する働きしか持たないがゆえに、恐怖の真の対象とはならない。しかるに恐怖は存在論的な不可能性と切り離せない。それは恐怖という感情が、理念的には、思考する私たちの存在をリテラルに脅かすものの存在に対応しているからである。SRが存在論という媒介を経てホラーと関わりを持つのは、以上の理由による。
もう少し詳しい説明が必要だろうか。それではまず、恐怖は理性的なものに対する外部の無限性の記号であるということを仮定してみよう。そしてそのような記号がまさに働く場の例として、映画について考える。映画の画面は言うまでもなくフレームで区切られており、その外部には虚構と現実を滑らかに接続する、ある想像的かつ象徴的な空間が広がっている。映画の物語内容は、一般にこの空間のおかげで成立している。そうでなければカメラのフレームに収まったイメージがただ連続するだけの、物語を、というよりその意味を欠いた映画が生み出されることになってしまう。逆に、フレームの外部を志向する私たちの意識こそが、映画におけるバラバラのショットをつなぐ論理的な整合性を提供しているのだと言うこともできる。ところで映画において恐怖の感情、それを成立させる情動の働きが現れる瞬間とは、このフレームの外部のさらに外部から、何ものかかが現れ、ショットの接続の論理にたとえ一時的にであれど紛れもない混乱を持ち込むとき以外にあり得ない。私たちは外部そのものに対して恐怖を覚えているのではなく、外部の外部の外部の外部・・・・・・その無限性に怯えている(ということになる)。たしかにホラー映画には特有の文法が存在し、またそれを知っていればこそ観客はホラーを恐怖しつつ楽しむ、つまり享楽することができる。こうした事情は、たとえばラカンの精神分析理論を援用するジジェクがヒッチコックやスティーヴン・キングの映画その他を論じながら示して見せた通りであるが、明らかにそのような表象文化論的な分析では、その無限性を除去し反省的な状態に置くことによってホラーを哲学に回収することはできても、哲学をしてホラーへと開かせることはできない。情動がまさに生産されるその状況においては、記号としての恐怖は無限性を帯びており、それは理性的なものの図式を瞬間的にであれ引き裂くことによって成立している。この引き裂きの方式が外部と内部の絶えざる反転であったり(不気味なもの)、またそこからの回復が理性的なものの再強化の役割を果たしていたり(崇高なもの)といった違いはあるものの、総じて恐怖は理性的なもののトポロジーと関連付けることなくしては理解し得ないものだ。フレームの外部はむしろ理性によって把握される領域であるということを先に示唆しておいたが、そこからもわかる通り、むしろ理性は外部を絶えず取り込み、その試練にあえて曝されるということを自らの本性としている。だからこそ、理性にとって最も恐怖すべきことは、外部に終わりがないということ、その無限性なのである。このことは恐怖が人間が持ちうる感情の中で最も動物的なものであるという事実と矛盾するものではない。というより、ジョルジュ・バタイユが示したように、動物性こそ人間にとっての恐怖の主要な対象の一つなのだ。
H・P・ラヴクラウフトに、「故アーサー・ジャーミンとその家系に関する事実」(1921)という小説がある。これは狂気を宿命付けられた「失われた一族」ジャーミンの家系の秘密についての客観的な覚え書き風の記述を装った初期の短編なのだが、遺伝的な祖先として人外の存在を置くことによって、当時利用できた生物学と地理学的な知識を可能な限り用いて、人間という生物学的種の境界の不安定さを表現することを試みていた点で注目に値する。このような作品が、少なくとも発表された当時恐怖を催させるものとして分類され得たのは、やはりそこに理性的なものの外部の無限性が刻み込まれていたからに他ならないだろう。ゾラがその自然主義に組み込んだ科学的な要素としての遺伝の理論は、ゾラの場合に限らず、現代においても往々にしてオカルティックな擬似科学的理論を派生させ続けているわけだが、こうしたオカルティックなものは、単に理性的なものと無関係なのではなく、むしろ理性的なものを装っているからこそ危険なのだ。ラヴクラフトの小説についても同じことが言える。理性とその外部の無限性の混合というテーマは、ラヴクラフトにおいては、人間と動物の間の検証可能な、しかしいまだ検証されていない連続性という形で表現されている。思考するものの存在をリテラルに脅かすものとして、異種受精(xenogamy)の要素が介入してくるのである。こうした想像力のあり方は、SRのある側面、たとえばメイヤスーが「原化石(arche-foccile)」を、またブラシエがスティーヴン・ジェイ・グールドの断続平衡進化仮説を理論的なモチーフの一つとして選んでいたことと、必然的に繋がっている。進化論のホラー的な、つまりはそのラディカルにヒューリスティックな利用の仕方は、SRの理論的ないくつもの”骨格異常”のうちの一つなのだ。むろんSRが哲学である限りは、進化論が認識論と存在論の間でどのような位置を取り得るのかを問う必要性があり、そうした文脈でダニエル・デネットや一部のネオ・プラグマティズムの哲学者たちの議論が参照される可能性が生じてくると言える。
この主題をめぐる議論にひとまずの区切りを与えよう。そこでメイヤスーにおける相関主義という術語の意味するところを、恐怖の感情の無限性との関連で説明しておくことにしたい。人間と世界が意味のある仕方で記述され得るのは、ただそれらが相互の関係性のうちに置かれている場合に限られ、それゆえにそれぞれの即自(in-itself)に関する知識(knowledge)を得ることは不可能だと主張する哲学のある種の傾向、これが相関主義の最も一般的な規定である。ところで相関主義には強いモデルと弱いモデルが存在する。弱いモデルとはカント自身の哲学、そして新カント派の哲学を含む、独断論的形而上学への批判として打ち立てられた、限界についての思考の歴史的に最初に現れたタイプを指すものである。強いモデルは既に見たように大まかに現象学からポストモダン哲学まで(ハイデガーからデリダまで)を覆っており、また言語的転回以降(ウィトゲンシュタイン以降)の分析哲学もそこに含まれている。弱いモデルと強いモデルの差異は、即自を知ることのできないもの(the unknowable)とみなすか、それともさらに踏み込んで考えることのできないもの(the unthinkable)とみなすかという点にかかっている。後者の場合、思考の外部性が指し示されることになるが、それは私たち人間にとってのという留保が付いている限りで、やはりどこか反省的に捉え返された(カットバックされた)外部でしかない。私たちはここで即自と呼ばれているものを恐怖に置き換えて考えてみることができる。その無限性を取り込もうと絶えず試みる理性に対し、恐怖は常に裏を掻き続けることによって報いる。この運動はウロボロスの蛇のごとき、一種の円環を連想させるが、相関主義の円環(correlationist circle)と呼ばれているものは、まさにそうした円環、しかも全くの悪循環である。それに従えば、いかにして世界についての、つまり外部についての知識を得たところで、それは私たちにとって(for-us)という囲い込みからは出ることがなく、またそうである限りで即自的存在の絶対化や必然化を訴える議論は無効となることを避けられないし、さらには即自についての単なる思考の可能性さえもが、この相関の事実性(the facticity of the correlation)という障害の前で粉砕されることになるというのだ。この円環から抜け出るには、ドゥルーズが『差異と反復』で直線的時間とか第三の時間の総合といった言葉で表現した、むしろ規定作用としての思考を暴力的に可能にしてしまうようなものとしての差異、つまるところはリテラルな恐怖に含まれる無限性、いかなる理由もなく伸びていき、そしていかなる理由もなく中絶しうる外部というものの可能性が、潜在的に要請されるのである。メイヤスー自身は、相関そのものの事実性、その偶然性(contingency)を絶対的なものとすることで、この困難を乗り越えようとする。彼の議論のポイントを一言で表現するならば、それは必然性と偶然性の非対称性ということになろう――すなわち必然性はたしかに私たちにとってのものという制約を受けることで相関主義の円環に取り込まれることになるが、偶然性は決して私たちにとってのものではなく、それゆえに即自であり、円環を超出しているのだ。メイヤスーによれば私たちは単に誤解してきたのだという。事物の存在についてであれ、人間や世界の存在についてであれ、はたまた両者の相関の存在についてであれ、そこにいかなる理由も見出せないということから、私たちは自らの無知を帰結しようとする(これは充足理由律に拠る推論だ)。だがそれは間違いなのだ(ここでメイヤスーは充足理由律を否定する)。むしろこのいかなる理由も見出せないということ(unreason)、そしてそれゆえいつでも理由なく変化しうるということこそが、私たちがそれらについて持つ知識の内容なのだ(メイヤスーはここからすべてを知ることが可能であるというテーゼを引き出す)。この議論が単なる言葉遊びではなく、真に哲学的に有効なものとみなし得るのは、そこに理由なしでの変化の能力という項目が加えられたからに他ならない。そして彼が言う理由なき変化を、いかなる理性も欠いた(without any reason)情動=触発としての、純粋な恐怖の無限性の表現として受け取ることも可能なのだ。映画を例にとりつつ恐怖について述べたとき、それは外部の外部からやってくるものであるという言い方をした。これは言ってみれば、現実的にはそれがどこからくるのか推し量れないということを意味するものだった。恐怖の本質的な偶然性、それがホラーとSRの哲学に必然的な関係を与えているのである。
***
さて以上の論点は、究極的には事実性という概念に含まれる特有の曖昧さについての考察を深めることから導き出されてくるものである。したがってこの点に関する詳細な理解を求める向きには、メイヤスー『有限性の後で(After Finitude)』第三章「事実論性の原理(The Principle of Fctiality)」を参照することを勧める。しかしおそらくそのテクストを読むことで、読者は議論の技術的な側面に対する知識を得ることに加えてさらに、ある種の奇妙な情動を引き起こされることとなるだろう。たとえば次のような文面に行き当たって。「・・・・・・真理を述べる神が延長実体に対して演じるのと同じ機能を、先史的言明のうちに含まれる数学に対して演じることになる、ある偉大なるアウトドアへとアクセスすること」「先史的なものが思考可能であるならば、ある絶対的なものが思考されねばならない。」*8
私たちはSRのテクストが論じている内容とは別に、そこに流れ込む想像力の本性についても、失敬ながら興味を抱いてしまってよいのではないだろうか。
この世界に秩序を与えている諸法則が明日も同じように存在し続けているとは限らない――帰納的推論のパラドックスとして知られる古典的な問題だ。私たちにとってこのパラドックスが問題だと感じられるのは、私たちが実際には諸法則が明日も存在し続けるに違いないという、ある種の原‐信念を抱いているからに他ならない。SRが思考しようとしているのは、ヒュームですら抱いていたその種の原‐信念が壊れた世界に他ならない。しかるにSRの実存的かつ理論的な狙い――SRが特権的とみなす数学は、ある見方においては限りなく実存的な意味を持つ――それは、誰もが子どもの頃に一度は思い至るが、いつしかそのことに不安や恐怖を覚えなくなるこのパラドックスに、もう一度その戦慄すべき力を取り戻させようということなのではないだろうか。
■主なアクター
・ユージーン・タッカー(Eugene Thacker)
哲学、メディア論や音楽に関する文章で知られる、SR周辺の書き手の一人。ホラーやSci-Fi についても当然書いている。アレクサンダー・ギャロウェイ(Alexander Galloway)との共著や、いくつかの大学出版局から『バイオメディア(Biomedia)』(2004)、『グローバル・ゲノム(The Global Genome: Biotechnology, Politics, and Culture)』(2005)などを出版しており、バイオテクノロジーとメディアの新しい関係に対する言及が比較的目立つ。マニュエル・デランダともまた趣を異にする、こうした生政治的/管理社会的なものへの接近が、彼の中で後の「生(Life)」の神秘化に対する偶像破壊的批判を準備していたと考えられる。『死後の生(After Life)』(2010)と『この惑星の塵の中で(In the Dust of This Planet)』(2011)において「哲学のホラー(horror of philosophy)」と彼が名付ける独特の厭世主義的かつ悲観主義的な思想を表現する。それはホラーの哲学という言葉がイメージさせるような残酷表現やグロテスクなものへの解釈の試みとは異なり、より思弁的で、知的な内容を含むものであるという。哲学に内在する恐怖や不安の要素をジャンルとしてのホラーに投影したものとひとまず考えることができるだろう。
・グレアム・ハーマン、『怪奇実在論(Weird Realism)』(2012)
ハーマンはSRの持つダークな雰囲気から良い意味でも悪い意味でも最も距離を取っている。実際、彼の手にかかればハイデガーはある種のプラグマティスムの哲学者のようになってしまう。あるインタヴューではラヴクラフトに対し関心を持つようになったのは37歳の時であること、またラヴクラフト繋がりでチャイナ・ミエヴィルとの知遇を得たことなどが言及されている。しかし比較対象として引き合いに出すのがヘルダーリンであることからもわかるとおり、彼のラヴクラフトへの理解は、ある意味で伝統的な「哲学と詩」や「人間と自然」といった対立の文脈で捉えられている。アルフォンソ・リンギスに師事していたことから来るのであろう旅行記への好みは、「旅」をキーワードとする東浩紀の近年の方向性とも共通するものが感じ取られる。『哲学のサーカス(Circus Philosophicus)』(2010)はニーチェやプラトンに範を取った哲学的寓話集の試みであり、巨大な観覧車や外洋の掘削機械などのSR好みのモチーフが取り上げられたかと思えば、最終章では日本の船幽霊についての民俗学的エピソードが取り上げられる。
・クァンタン・メイヤスー、「亡霊のジレンマ(Spectral Diremma)」
『コラプス』第四号「ホラーの概念(Concept Horror)」に掲載。同号には他にもチャイナ・ミエヴィル、ミシェル・ウェルベック、トーマス・リゴッティなどの作家が寄稿しており、ホラーの哲学がいわゆるジャンルとしてのホラーに束縛されず、Sci-Fi やミステリー、ファンタジー、純文学の領域に緩やかにブリッジしていることが見て取れる。メイヤスーの論考自体は、彼の裏返された神学――神はいつでも全くの理由なしに到来し得る、そして全ての死者たちがリテラルに蘇り得る――の構想を述べたものである。いつも通り、メイヤスーはそれが確実に起ることだとは主張しない。彼は常にそのような可能性を確実に排除することはできないのだという仕方で、議論を提起する。結果として、デカルトが論じていたならばその「自然の光」によって明るいものとなっていただろう救済の概念は、彼の流儀で取り扱われることによって、不安と恐怖を掻き立てるホラーな問題に関するものとして異化されることとなるのである。
・トーマス・リゴッティ(Thomas Ligotti)
何篇かの短編が既に日本語訳されている。ホラー・ジャンルの権威ある賞であるブラム・ストーカー賞も受賞しており、哲学的ホラーの書き手として既に一部でカルト的人気を博している。また脚本家としての活躍が目立つ点も特筆に価する。『Xファイル』の二次創作脚本を書いていたり、『True Detective/二人の刑事』(2014)のライターであるニック・ピゾラトが影響を公言していたり(他の影響源としてレイ・ブラシエの名も挙がっている)など、文芸方面のみに限られない広範な影響力を有しているようだ。残念ながら長編作品で翻訳された作品はまだ存在しないが、これまたブラシエが序文を寄せている理論的な著作『人類に対する陰謀(The Conspiracy Against the Human Race: A Contrivance of Horror)』(2010)では、アルトゥール・ショーペンハウアーやフィリップ・マインレンダーといったいわゆる反出生主義(Antinatarism)に分類される哲学者を歴史から広く取り集めてきて、独自の観点からその言説を再組織化することが目論まれている。
・H・P・ラヴクラフト(1890-1937)
言わずと知れた宇宙論的ホラー作家。その作品はエドガー・アラン・ポーと並び20世紀のホラーとSci-Fi を準備した点で偉大であるとされる。特徴的なキャラクター(クリーチャー)を多数抱え、二次創作にも親和的である独自の神話体系、「クトゥルフ神話」を構築した点が注目されがちだが、中期の作品である『宇宙の色』(1927)、『狂気の山脈にて』(1931)には当時の最新の科学的データを可能な限り利用した上で、迫りくる恐怖をあくまでリアリズムの筆致によって描写しようとする姿勢が見られ、いわゆるファンタジー作家(J・R・R・トールキンなど)とは異質であることが認められる。暗示的なものも含めた感覚の純粋な記述、すなわち「効果」に徹することでホラーへの道を開いたのはエドガー・アラン・ポーだが、ラヴクラフトもその顰に倣っていると言えよう。フィクションとしてのホラーが持つこうした性格は、「第一哲学としての美学」、つまり理性的認識の手前で要求される感覚データに存在論的優先権を与えるハーマンらの考え方と何かしら共通するものがある。ウェルベックによるラヴクラフト論『世界に抗して、生に抗して(H. P. Lovecraft : Contre le monde, contre la vie)』(1991)は、ポスト冷戦の時代に取り得る文学的戦略としてウェルベックがラヴクラウフトから何を学んだかを理解する上では有用だが、いかんせん哲学的な考察は弱い。
・ベン・ウッダール(Ben Woodard)
SRの影響下において登場した最年少世代の書き手。*9最近、哲学の博士号を取ったばかり。論集『思弁的転回』や雑誌『スペキュレーションズ(Speculations)』への寄稿の他に、『スライムの動力学(Slime Dynamics: Generation, Mutation and the Creep of Life)』(2012)、『無底の大地について(On Ungrounded Earth: Towards a New Geophilosophy)』(2013)などの単著を持つ。専門はシェリングの自然哲学で、同じくシェリングを扱うイアン・ハミルトン・グラントからの影響が強い。彼らの主張はしばしばダーク・ヴァイタリズム(Dark Vitalism)と形容される。ブラックメタルの理論を扱う電子学術ジャーナル『ヘルヴェート(Helvete)』のゲストエディターも務めており、ホラーというテーマからは少々ずれるが、その近接領域における注目すべき存在である。
・クレア・コールブルック(Claire Colebrook)
オーストラリア出身で現在エディンバラ大学の教授を務める英文学者。OOOの一翼を担うエコロジストのティモシー・モートンもそうだが、英文学研究からフレンチ・セオリー(ポスト構造主義)を経由してSRへと合流するというのが一つの典型としてあるように思われる。その場合、ドゥルーズの存在が決定的に重要である。実際、彼女はドゥルーズを扱った著書を多数出版している。彼女はオープン・ヒューマニティーズ・プレス(Open Humanities Press)におけるシリーズ「批評的気候変動(Critical Climate Change)」の共同編集者の一人であり、そのシリーズから「絶滅」*10のテーマに関する自著を二冊刊行している。
・レザ・ネガレスタニ(Reza Negarestani)
『サイクロノぺディア(Cyclonopedia)』でスペキュラティヴ・フィクションの世界に颯爽と登場したイラン出身の哲学者。上記小説は狂気に陥った哲学者の手記の形式を取った理論的フィクションといった趣きであり、どこか『シュレーバー回想録』を想起させる。イランの文化や歴史、政治に関する奇妙な解釈、石油をめぐるグローバルな利害に関する妄想などが自由に展開されるその内容からは、現代的なホラーの一つの可能性を明確に読み取ることができる。理論家としては、最近邦訳が出版された『メディウム・オブ・コンティンジェンシー』に参加している他、2009年の金融危機以降、アートにおけるインターネット・ジャーナリズムの最先端を走っているメディア『イー・フラックス(e-flux)』にも寄稿するなどしており、アート・ワールドへの露出が目立っている。またエレクトロニック・ミュージックの分野で活躍するミュージシャン Holly Herndon とのコラボレートは、SRに内在するテクノ・フィリアで音楽寄りな美学の傾向を示すものとして大変興味深い。
・ニック・ランド(Nick Land)
SRと関わりの深い急進的左翼アクティヴィズムである加速主義(accelerationism)*11に着想を与えた、その特異なドゥルーズ解釈によってロンドンでカルト的な人気を得ていた哲学者。80年代にウォーリック大学で大陸哲学を教え、またCCRU(Cybernetic Culture Research Unit)なる研究機関を主宰し、アートとクラブ・カルチャー、哲学の繋がりを深めつつ、今日のSRがそこに出現することになる文脈を作り上げた。『牙をむくヌーメナ(Fanged Noumena)』(2011)が刊行されるまで、著書はバタイユ論である『無化への渇き(The Thirst for Annihilaton)』(1992)の一冊しか出版されておらず、重要とされる雑誌掲載のテクストなどは参照することが難しい状態であった。ホラーに関する直接的言及としては、「サイバーゴシック(Cybergothic)」、「クトゥルフ・クラブの諸起源(Origins of the Cthuluh Club)」などが存在するが、別の主題を取り扱ったテクストにも結果的にホラーの問題が現れている点は見逃がせない。「メルトダウン(Meltdown)」や「ダーク・エンライトメント(Dark Enlightment)」といったテクストがそれである。前者はドゥルーズ+ガタリの分裂分析に一応の範を求めつつも、チャイナ・シンドロームやグローバル・パンデミックなどの現代的な危機のモデルを列挙しながら、近代的社会体制が必然的に技術的な「メルトダウン」迎えるさまをホラーとして描き出す、一種のフィクションである。後者は基本的に民主主義批判のテクストであるが、現在の政治体制に比すればむしろ絶対王制や封建制など過去の政治体制の方が有益であったかもしれないなどといった、ほとんどまともに受け取ることのできない政治的懐疑主義の主張も含まれており、慎重な取り扱いを要求する。管見の限り、ランドの思想は、新反動主義(Neo-Reactionary)と呼ばれるネットを中心とした新種の政治的ニヒリズム――ネトウヨなどとして知られる近年の日本の若年層にも似たような傾向が見られる――とも繋がりがある。いずれにせよ現実から切り離された虚構についての思弁としてホラーの哲学を片付けることはできない。
■隠れた影響、そして文化政治としての哲学
ここではSRに影響を与えているだろう、しかしあまり表立って言及されることの少ない哲学者を何人か挙げ、それぞれがSRにおいて受け持っている概念も同時に記しておく。
・フランソワ・リオタール:非人間的なもの
・ジャン・ボードリヤール:カタストロフ
・E・M・シオラン:ペシミズム、アンチ・ヴァイタリズム
・フランソワ・ラリュエル:非‐思考
また、人物からの影響ではないものの、次の分野からの影響も重要なものとして指摘しておきたい。
・ノイズ・ミュージック、フリー・インプロヴィゼーション→予測不可能なもの
どちらも偶然性の本性への問いを含んでいるという点を鑑みれば、SR周辺とノイズやフリー・インプロヴィゼーションのシーンが密接な関わりを持つことはそれほど意外ではないはずである。しかしある意味で見逃せない事柄は、これらのシーンで大きな役割を果たす『The Wire』のような雑誌が帯びる「クール・ブリタニカ」という記号と、そしてデリダ派に対するドゥルーズ派の戦いというSRと新唯物論(New Materialism: NM)周辺で出来上がった構図とが、微妙なズレを孕みながら重なり合うことで生じてきた文化政治的な効果の問題である。
具体的にはどういうことか。
まずそもそも、英語圏におけるデリダ派とドゥルーズ派の対立というのは、建築の分野から出てきたものだった。これは90年代のanyカンファレンスなどによく表れており、登壇者たちの座談会でもそういった情勢が語られている。デリダ的脱構築を建築のシーンに輸入したピーター・アイゼンマンに対して、より下の世代からヘゲモニー闘争の機運が湧き起ったのである。ジョン・ライクマンなどの理論家が積極的にドゥルーズの潜在性や襞といった概念を建築に応用する可能性を訴えたし、グレッグ・リンとかザハ・ハディドといった極端に造形主義的な作家たちは作品のレベルでもそれを実証しようとしていた。この戦いは、その当時は不発に終わったわけだが、現在の状況との関連で見逃せないのは、この時期、NMの一派に数えられるエリザベス・グロスが何度もパネラーとして招待されていたという事実である。彼女は当時のコンテクストにおいて、明らかにドゥルーズ派の側に立って動いていたとみなし得る。
それでは建築の後でドゥルーズの思想はどこに飛び火したか。管見では、それは音楽、実験的なクラブ・ミュージックのシーンにであった。とはいえ英語圏でドゥルーズの哲学が流行したのは、せいぜいこの二つの領域だけだったのだとも言える。テクノ・サイエンティシズムばりばりの造形性を打ち出すことに戦略的な意味が付与し得たのは、この二領域ぐらいだったからだ。純粋に視覚的な現代アートの分野では、むしろドゥルーズ派の分裂的な戦略は有効に機能しなかったように見える。視覚的であることは理性的であることと強く結び付いており、その限りで、現代アートの世界はドゥルーズ派の仇敵たるカント主義の牙城であった。たとえばクレメント・グリーンバーグのフォーマリズムがカント主義であったことは言うまでもないが、その対抗者であったはずのマルセル・デュシャンでさえもティエリー・ド=デューヴによって『デュシャン以降のカント(Kant After Duchamp)』(1998)という本を書かれてしまう程度には、カント的であったわけだった。
それだというのになぜ、今になって再びドゥルーズの哲学がアートの現場に対して新たな影響力を持ち始めたのか。あくまで個人的な予想なのだが、それはやはりクール・ブリタニカのグローバル文化戦略によるものなのではないのだろうか。もちろん仮想敵は前世紀の文化政治の覇者アメリカであり、そこでの目標はかつて隆盛を極めたデリダ派の遺制、というかその相関物であったところの文化相対主義と多元主義に対し、いかに思想的なオルタナティヴを提示していくかということであった。もちろんこうした文化的戦略なるものは、思想的には内容空疎で、ほとんど記号の操作しか含まないようなものである。しかし読み解くべきは、記号の操作によって動かされている欲望の、その構造、そしてそれが持ち得る可能な意味である。そもそもこうした戦略が実行可能になったのは、9.11という具体的な日付けにおいて、ポストアメリカの状況がはっきりと、少なくとも文化のレヴェルにおいては明らかになってきたことによるものだ。9.11以降のアメリカでは全ての問題が倫理に向かってしまう。ノーランが『ダークナイト』で描いたような絶対悪のトラウマにアメリカは苛まれ続けている。(そしてこのような象徴化がどれほど複雑になされようと、現実のイスラームに対する具体的な問いを欠いた神学的な読み替えの無数のヴァリエーションしか生まれてこないことは自明だ)。そして金融危機以降は格差の問題へと目を向けさせられ、オバマが英雄的に唱えた「チェンジ」の魔法は、最も味気ない経済的な現実、低所得者層の住宅問題という躓きの石によって、完全に解けてしまったように見える。
以上のごとく、ゼロ年代以降のアメリカは問題だらけであり、その問題を普遍化することでかろうじて超越論的なポジションを仮構してきたのが、テン年代に入ってBRICsや ASEANの力が明らかなものとなるにつれ、要するに単に問題だらけでトラウマばかりを抱え込んだ国家であることが、相対的に露呈し始めたのではないか。
他方のイギリスでは80年代の末から90年代の半ばにかけて、一種のニューアカ的なドゥルーズ需要が生じた。その立役者となり、なおかつSR周辺にかなり直接的な影響を与えた哲学者、ニック・ランドは現在は上海に住んでいて、あろうことか――まるでウェルベックの小説の主人公のようだが――上海の英語話者向け旅行案内雑誌・ウェブページのライターをやりつつ、趣味で書いたホラー小説を電子出版したりなどしている。深読みすれば、そこにはつまり最初からポスト・アメリカ的な文脈が潜んでいたことになる。ギリシャ金融危機によって露呈したEUの構造的な限界、アメリカにおける超越論的なものの機能不全、そうしたもの全てから適度に距離を取りつつ、情報技術に支えられグローバル化された世界の中で、淡々と商人資本主義的な仕方で文化的なブランドの構築を進めていく…まさしくクールに。右傾化の波や、独立運動の激しさはあるものの、フランスにおけるムスリムと極右のような深刻な内政問題は生じていない。まさに順風満帆であった。
だからと言うべきか、グレアム・ハーマンの動きはSRの関係者を大いに苛立たせることになった。神学者がウッデイ・アレンの映画や『マトリックス』につ いて評論を書いたりするアメリカという地に、この野球好きのアメリカ人がSRの議論を移植してしまったために、ロンドンの商売は大きく狂わされることになったのだった。SRの議論を移植するとは、メイヤスーを輸入し、宣伝するということに他ならなかったわけだが、ではそもそもなぜハーマンはメイヤスーを選んだのか、あるいはなぜメイヤスーが選ばれたという風に私たちには見えたのか・・・・・・この問いは俗っぽく見えて、案外本質的な問題を孕んでいる。メイヤスーの著作を英訳し、その思想を英語圏に最初に紹介したのはブラシエ(とマッカイ)だったが、ブラシエはおそらく、バディウの弟子という繋がりでメイヤスーを見ていたに過ぎない(ブラシエの無意識は『ガーディア ン』的な左派のそれである)。だがハーマンはメイヤスーの全く別の属性を見ていたのではないだろうか。その実存神学的な傾き、そのプラグマティックな明晰さ・・・・・・つまりはそこに見て取れる、アメリカ的風土との、というよりポストモダン的消費社会の基本的思考様式との、高い融和性である。メイヤスー自身の議論にはほとんど全くと言っていいほど登場しないポストモダンという言葉をここで使うのはいかにも奇異に映るだろう。しかし彼がまさにメシアとして選ばれたということ――『マトリックス』のネオのように――この事実を説明するにはやはりポストモダニズムの徹底ということを言うのが最も相応しいことなのだ。彼の議論が時代錯誤にもデカルト的であったとしても、アナクロニズムがもはや標準的な理論的戦略となったポストモダンの風景において、それは決して奇異に映らない。ただ、そこに何の文脈的な補助もなかったとしたら、メイヤスーの議論は単に無視されていただろう。もちろんメイヤスーの議論のルックス上の魅力とは、余計な哲学史的ごたごたを全て圧縮し、議論をいくつかの実存的かつ理論的に重要なテーゼのみへとミニマルに切り詰める。だとすればハーマンが最初ほとんど文脈形成しかしていなかったことも理解できるだろう。二人は相補的だったのだ。まるでキリストとパウロのように。
「下衆の勘繰り」に傾きすぎただろうか。とはいえそれも時には必要なことなのだ。なぜなら世界から「下衆」を除外し得ない以上、思考のミメーシス的な本性は「下衆」との邂逅を避けることができないからだ。
■日本におけるスペキュラティヴ・ホラー
日本におけるホラーの想像力を検討する。日本的な「物の怪」の想像力はまさに即自(in-itself)に対する想像力のある種の形式であるとは言えないだろうか。またこのような視点から、妖怪を非抑圧民の形象と重ねつつ、民衆の唯物論的な歴史へと接続しようとした小松和彦や網野義彦の議論に、新しい読解の可能性を見出すことができるかもしれない。むろん近代以降の怪奇小説の成立と、それ以降進んでいった汎ジャンル小説的状況の意味についても、こうした観点からの考察を行うことが可能ではないかと考える。
・江戸川乱歩、稲垣足穂、夢野久作・・・・・・
→泉鏡花や小泉八雲、さらに柳田國男などの「怪談」スタイルからの離脱、近代化の恐怖
・埴谷雄高、花田清輝、安部公房・・・・・・
→Sci-Fi からの影響、科学的思考と形而上学的内省の混合、冷戦構造に規定された核の恐怖
・Jホラー=鈴木光司、瀬名秀明、黒沢清、清水崇、押切蓮介・・・・・・
→メディア化された恐怖、無限に反復可能なテクノ・イメージからくるパロディと紙一重のホラー
■ホラーの哲学の本質的論点
前半で述べたホラーとSRの関係に照らして、二点だけ明記しておきたい。
・解釈による内容の変化可能性を持たないようなもの(リテラルなショック)→唯物論的、ただし表象可能なもの
・科学的描写を許容し、内在的に体系化され得るものであること→スピリチュアルではなくオカルティック
*1:ゴールドスミス・カレッジは、90年代の現代美術を騒がせたダミアン・ハーストなどのYBA(Young British Artist)世代の作家を多く輩出していることが有名だが、その卒業生にはポスト・ダブステップ世代のトラックメイカー/シンガーとして世界的に有名になったジェイムス・ブレイクも含まれており、社会学、カルチュラル・スタディーズ、情報・メディア・コミュニケーションなどを学ぶコースも備えている。したがっていわゆる狭義の「美大」とは異なる。こうしたローカルな文化的地政学の事情を考慮に入れるならば、SRとロンドンのアンダーグラウンドでアーティなサブカルチャー・シーンとの繋がりを考えることは、それほど的外れなことではなくなる。
*2:Brassier, Ray, Iain Hamilton Grant, Graham Harman, and Quentin Meillassoux. 2007. "Speculative Realism" in Collapse III: Unknown Deleuze. London: Urbanomic. ちなみにモデレーターはドゥルーズ+バディウ+イタリア現代思想といったバックグラウンドを持った若手の左翼系哲学者、アルベルト・トスカーノが務めた。
*3:Harman, Graham. 2011. “Realism Without Materialism” in Substance 40 (2):52-72. 同年には運動全体の最初の総括とも言える論集『思弁的転回(Speculative Turn)』(2011)が発行された。そちらでのハーマンの発言も参照するべきだろう。
*4:ピート・ウォルフェンダール(Pete Wolfendale)『オブジェクト指向哲学:ヌーメノンの新しいドレス(Object-Oriented Philosophy: The Noumenon’s New Clothes)』(2014)にブラシエが寄せたあとがき「追伸:思弁的検死(Postscript: Speculative Autopsy)」を指す。ピートの著書自体が浩瀚な「ハーマン批判の書」となっており、そこから親ハーマン派のジョン・コグバーン(John Cogburn)とピートの間で「思弁的実在論は存在するのか」という論争が生じた。ハーマン自身も最終的には発言を迫られ、結果的にこのスキャンダルは大西洋を挟んでSRが分裂したことを示す象徴的なものとなった。
*5:ジョン・カプート、マーティン・ヘグルンド、フランソワ・ラリュエル、ジャンニ・ヴァッティモ、ジョルジュ・アガンベンなどがひとまずのところ思い浮かぶ。カトリーヌ・マラブーが――かなり性急に見える仕方であれども――脳科学が明らかにした諸事実をデリダの議論に接木したのは、ポスト構造主義の哲学の宗教化(神学化)がこのように顕在化しつつあり、それに抗う必要が生まれつつあったからだった。
*6:factiality ではない点に注意。facticity とは実際に何かが事実として受け入れられている限りでの事実性を指すが、factiality はむしろその存在の無根拠さが意識される限りでの事実論性である。メイヤスーによれば、カントは超越論的主観性の存在をその超越論哲学を構築するのに必要な原初の事実性として措定した。だが真に原初の事実性とみなされるべきは、知性らしきものを備えたこの有限の身体がこの宇宙において発生したということであり、その限りでカントの批判は不徹底である。世界の偶然性の必然性、充足理由律の廃棄といった主張はここから引き出されてくる。したがって事実性ではなく、その無根拠性が暴露されていく過程で生じる事実論性(factiality)からこそ、彼の議論は導出されてくるのだと言える。
*7:もちろん私たちは、デリダやドゥルーズ、フーコーの中にも、単純に相関主義的とは言えない、偶然性(contingency)に対する思考と解釈できるものが多く含まれていることを知っている。SRが先行者たちに対して与えた評価の低さには、先行者たちが戦略として採用したアレゴリーやメタファー、レトリックを文字通りの意味で受け取ってしまったことが大きな要因として働いているのかもしれない。そうだとすればここで起きたエラーは、パフォーマティヴな言明がコンスタティヴに読まれてしまった事態として、記述可能であるのかもしれない。
*8:それぞれ『有限性の後で』第三章から引用。先史的なものとは、人類が現れる以前の、したがって所与性(givenness)を欠いた状態における地球ないし宇宙の存在を指す。ついでに述べておけば、所与性に対する否定というスタンスは、ブラシエにおいてはウィルフリッド・セラーズの「所与性の神話(the myth of the given)」批判への参照という形を取っている。当然、ブラシエは感覚データ(sense data)に依拠した哲学の構築に対して批判的であり、美学的なものの哲学における重要性ということには懐疑的である。彼自身はノイズ/フリー・インプロヴィゼーションのミュージシャンとして活動しており、また「ジャンルは用済みである(Genre is Obsolete)」といった理論のようなものも著しているにも拘わらず、それらの音楽が持つ哲学的な意味を主張することに対しては慎重な姿勢を守っている。
*9:次の注に挙げるスルニチェックらもそうだが、この世代はブログを介してSRの議論に参入してきた趣がある。SRが歴史上初めての「インターネット発の哲学運動」であるということはハーマンが度々強調していることだが、ブラシエはあるインタヴューでそうしたSRの「影響されやすい大学院生たちの間違った情熱を搾取する」あり方に痛烈な批判を加えている。http://www.kronos.org.pl/index.php?23151,896 ところで、ウッダールは例外的だが、ハーマンが牽引しアメリカを拠点とするOOOはロンドンのサブカルチャーと切れているせいか、SR周辺では比較的ホラーとの繋がりが薄く見える。それでも一応、現象学における影の領域の追究という軸は存在し、『狂ったレヴィナス(Levinas Unhinged)』(2013)の著者であるトム・スパロウ(Tom Sparrow)や、『物:ホラーの現象学(The Thing: a Phenomenology of Horror)』(2014)を出版したばかりのディラン・トリッグ(Dylan Trigg)などが注目される。
*10:この「絶滅」というテーマはレイ・ブラシエの『拘束されない虚無:啓蒙と絶滅(Nihil Unbound: Enlightment and Extinction)』と共通するものであり、そこにいわゆる終末もの(post-apocalyptic fiction)やSci-Fi におけるディストピア小説と共通の想像力が介在していることを指摘するのはたやすい。日本語圏での「絶滅」をキーワードにした最近の仕事としては、吉川浩満『理不尽な進化――遺伝子と運のあいだ』(2015)が目を引く。
*11:アレックス・ウィリアムスとニック・スルニチェック(Alex Williams and Nick Srnicek)によるマニフェストが現在公開されている。http://criticallegalthinking.com/2013/05/14/accelerate-manifesto-for-an-accelerationist-politics/ スルニチェックはまだ博士課程の学生であり、SRについての情報集積を目的としたブログ「思弁的異端(Speculative Heresy)」の管理人でもあったことから、理論的にはSRと非常に近いところにいるとみられる。なお加速主義の周辺で活動している他の人物としては、音楽批評家のマーク・フィッシャー(Mark Fisher)、哲学者のベンジャミン・ノイズ( Benjamin Noys)などがそれぞれSRと関係が深く、ブロガーとしても有名である。さらに余談になるが、ブログその他での活動で注意を引く人物として、科学哲学をバックグラウンドにハーマン批判を展開するテレンス・ブレイク(Telence Blake)や、これまた博士課程の学生である(にもかかわらず『スペキュレーションズ』の編集同人であり、既に『大陸実在論(Continental Realism)』(2011)を含む数冊の著書を出版している)ダブリン在住のポール・J・エニス(Paul. J. Ennis)、そしていくつものインタヴュー記事をアップロードし、スタンフォード哲学百科事典とインターネット哲学百科事典にも「思弁的実在論」の項目を執筆しかけた(?)というレオン・ニーモツィンスキ(Leon Niemoczynski)などが挙げられる。