CGO展についての追加情報

(追記:展示についてのお問い合わせは consumergeneratedorgia@gmail.comツイッターid; @sensualempire へお願いします。積極的にお答えしようと思います(0w0))

「CGO」では僕のノートPCが一台、無線LANに接続され置かれ、自由に操作可能なものとして設置されます。来場者はそれを操作してテクストを読むなりその他ファイルを開くなりネットに接続して違法動画を見るなり、原則的に一般的なPC利用で可能なことをすべて行えます。(後記:違法動画を見ろと推奨しているわけではありません)
自由で開かれた展示空間としての動画サイトで、僕が選ぶところのもっとも猥雑かつ複雑な表現を持った動画(ハワイさんとか)を見てもらうことが目的ですが、画家が筆を完全にはコントロールしきれないように、来場者が他のものを見る/見ないことを僕は原則的に止められません。
また、僕は今回の展示で「展示」される「作家」達にまったく連絡を取っていません。よって場合によっては、一般的利用で見られるとはいえこういう文脈で取り上げられるのははなはだ不愉快であると「作家」から連絡があれば失礼を詫び展示からはずします。
それは僕が彼らMAD製作者達を自己の表現を持ち編集においてその創造性を発揮する「作家」だと本気で考えているからです。彼らがあくまでも「職人」だというのなら、僕は単にネットに挙げられた動画をPCでプレゼンしている以上のことはしていない事になるわけで、そもそもこれは展示ではなくなる。
連絡が来なかった「作家」の「作品」については、美術界では常識である(といっても例えばグリーンバーグなど作家の死後に作品を勝手に補修したりした人間とかもいますが)「作家」への礼儀を優先して、PCに入れた「展示」テクストデータからは省きます。(後記:この発言してから思い直し、しかしそれでも紹介自体はしたいという思いはぬぐいきれないので、マイリストには入れっぱなしにして、代わりにそのMADについて「評論」を書き、そのテクストデータをPCに残しておこうと思います。)
そんな風に事前の断りもなく他人の褌で相撲取ってリスペクトと言っても何一つ説得力ないと思うんですがいかがですか? RT @sensualempire: また、僕は今回の展示で「展示」される「作家」達にまったく連絡を取っていません。よって場合によっては、一般的利用で見られるとはいえこ(後記:@whitestonerさんからのRT)
で僕のmylistです。http://www.nicovideo.jp/mylist/26282872
このmylistに登録された作品についての解説テクスト(キャプションとカタログに相当)とリンクをPCに入れて「展示」としようと思います。それは他人の褌で相撲をとることかもしれません。でも兄貴MADが無許可でも兄貴を愛していると言えるように、僕もMAD作品とその作家を愛しています。
だから。このmylist(http://www.nicovideo.jp/mylist/26282872)に登録された動画の「作家」から「ガチ」な抗議がくれば、僕はその「展示」であるテクストへのその作家の当該作品を含めることを、僕の愛において必ずややめるでしょう。
「連絡」が来なかった場合はグリーンバーグ的な勝手さで結局「展示」(=テクスト)に作品を含める可能性もありますが、原則的にはやはり「展示」からそれを除こうと考えています。(後記:既に書いたように、その場合は「評論」として「展示」とは別の方法で紹介したいと思います。)

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ツイッターで流した一連の補完的情報です。僕がまず展示しようとしているのは、一般的にインターネット利用をするためのPCであり、今僕が操作し、皆さんが僕のブログを読むのに使っているのと変わらないようなデヴァイスです。それを一時的に、強制的に何かをさせるというわけでもなく自由に扱えるものとして展示に来た人たちに無償で貸し出す形になります。これが僕が「展示」の名の下提供する現実的な状況です。それは何度も繰り返しますが、一般的なインターネットの利用環境そのもの以上のなにものでもありません。もちろん僕はそのPC自体を僕の「作品」だとか呼ぶことはありません。そして、僕が提唱しようとする真の「展示」空間と「作家」たちはその中に、厳密に言えばインターネット上に、既にそこにあったがいままでそうとは気づかなかったもの、として現れることになります。つまり動画投稿サイトという場所がそもそも公共に開かれた場所であり、ログインすれば誰でも見れるものであり(ログインしなくても見ようと思えば見れますが)、それはおそらくこれからの映像表現全般にとって、一般的な「展示」空間以外の何ものでもなかったではないか、と気づく形で、それらは真の「展示」空間に、そしてMADは「作品」になって現れるのです。僕はいわば、そのように見ることを、前のエントリで「二つの問題」として整理したように、ニ方向への積極的提案とする形でこの「展示(むしろメタ展示)」を企画しました。限定されたエディションや視聴権利の管理によって、既存の「もの」という単位の延長線上で売買の論理に従って動くビデオアートやインスタレーションへの疑義と提案としてというのが第一。そして第二に、既にこれらインターネットで公開された動画を、僕が展示において提供する一般的なPCと同じ環境で見ているような「一般的」ネットユーザーたちへの、新しい解釈と実践の促しとして。もちろんそのような企図がその二つの方向から100%受け入れられるかはわからないし、高い確率でそれはきっとただのまったりネットサーフィンになることでしょう。CGO展はその意味で想像力の中で成立することを目指しています。もっと言えば、想像力さえあるのなら、現実の展示は形式的にはまだ始まってすらいないが、既に「作品」を見ることが出来る「展示」環境はあるとすらいえるわけで、そういう意味ではこの展示はその全体の目的において既に始まりそして終わっているともいえるのかもしれません。もちろんそれは解釈次第です。
そして、それでもなおこの「展示」を「企画している」ことあるいは「事実上実行してしまっている」といった解釈のもとで、問題があるとして僕が責任を問われ非難されるとすれば、それは先のエントリで述べたように「作品」と呼ばれるべきでないものを「作品」と呼び、「展示」すると「述べた」からということになるのではないでしょうか。僕はMADを芸術「作品」と呼びそれを「展示」すると(まるで殺害予告のごとく、と解釈することも出来るでしょう)「述べた」ことで、そしりを受けることになるのかもしれません。となれば悪いのは僕の「言葉」で、その言葉によって「作家」やその他不特定多数に迷惑をかけている(しかし一般的なインターネット利用可能なPCを一台、業務としてでもなく個人的に貸すことでどのようにそれらの人に「一般的」以上の迷惑をかけることができるでしょうか)という事実ないしそれを予備するものとしてといったところになるのでしょうか。それともMADの存在自体が悪とでも?否、僕達はそれを黙認し、再生し、楽しんできました。真実から目を背けるのはやめましょう、MADが僕達「消費者」にとって少なくともその再生数の分の延べ人数分だけ楽しいものであることは事実です。それでもなおMADが悪だというなら僕達は「消費者」の意識における「作り手」への無責任さを責めることになるでしょう。ですが僕は思います。じゃあMADの作り手たちは「作り手」ではないのか?と。MADとそれを楽しむ無責任な「消費者」を批判することで、結果的に本当は「作り手」だったはずのMAD作者達を攻撃していないか。ならば僕達は「作り手」のために批判するのだなどとは口が避けてもいえないはずである。現実はこうです。「消費者」でもあり「作り手」でもある「生成的消費者」がいます。彼らは個々において程度と質の差はあれ「消費」も「創造」もしている。彼らは互いに対立しあうことがあり、それも個々の「消費」と「創造」を掛け金にして争いあうのです。その時々で彼らは「消費者」としても「作り手」としても振舞います。僕らが一般的に考える「作り手」ないし「権利を持つもの」を尊重すべきというルールは、結局この争いを出来るだけ起こらないようにするためのものです。それは争いを押さえ込むというだけで、新しい創造や表現を促進したり助けるものとは限りません(既存の「作られたもの」を守るための権利なわけですから。まだ作ってもいない作品対し著作権はもてないでしょう)。恐らく僕らは争いを避けすぎた。時には争いが起こることも覚悟して、何かを言わねばならないこともあるでしょう。そうやって何かを伝えようとすることを「表現」と呼びます。これは単に「創造」するということとは別の行為です。僕達が「表現」の回路を確保したいと思うのであれば、まず先入観をなくして目の前にある「作品」いや、まだ「作品」と認められてすらいない何かに向かい合うべきなのです。少なくともそのことをMADは教えてくれます。そのことをMADは「表現」しているのだと僕は信じています。
(そして言葉以外のものはまだ何も生まれていない……ドヤ)

追記:深夜に急いで書いたこともあっておかしいことになっていた幾つかの論旨の流れや文章表現を修正しまし
た。(8/3正午)